*** ぷらいべーと ***
〇ニュージーランドの思い出
〇幼少の頃の思い出

環境

私が生まれた環境は素晴らしかった!
物凄くデッカイ家で生まれたのだ。

表の庭は夏みかん、桃、ざくろ、つつじの木が植えられていて、
昔、盆踊りをひらいた事があるというほどのアホほど大きな土地があった。
表には大きな松の木と柿の木、つつじ、花類いろいろ・・・。
私の秘密の小屋や、井戸、私が作ったブランコ・・・
遊び場いっぱいの夢のような世界だった。
2階のベランダには
松の木が地植えされていた。
井戸の上に座って柿を丸かじり  この松の木は
いろいろお世話になった。
裏の庭。この向こうは広場。 表の庭つつじの下はフキが生えてる。

家族構成
基本的には、
おばあちゃん 
とっても良い性格。
しつけこそ厳しかったが、とても自然に個性を生かすように自由に私を育ててくれた。
怒ると、包丁を投げてくる程怖かった。
誰にでも家族のように接する為、郵便屋サンにでも「まあ、風呂入って行けや」とか
おまわりさんに「飯食って行けや」とか気軽に声をかけて、実際知らない人と食卓を
共にしたり、郵便屋さんがお風呂入ってたりしたから、今から思えばスゴイ(;^ω^A
おじいちゃん 
ものすごく尊敬できる人。
大工の棟梁だった。広範囲の近所の人誰もが知ってる有名人だった。
それほど、近所の建物を建てまくった自慢のおじいちゃん。
このおじいちゃんにはめいいっぱい可愛がってもらった。
家の骨組みが私の遊び場所で、墨つぼを遊び道具に与えてもらっていたのを覚えている。
いとこの姉ちゃん 
女性的?
日本舞踊やピアノを習っていたみたい。
私が生まれた頃、中学生で、私が小学生になった時にはお嫁に行っちゃったから
あまり覚えてはいないけど、ホントの姉妹のように育った。
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生まれた時は上記メンバーだったけど、うちの家は複雑で月ごとに家族のメンバーが
入れ替わり立ち代りだった。
おばあちゃんの性格もあって、おっちゃん(ねえちゃんのパパ)や私の父の友達が住み込んだり
おばあちゃんですら名前のわからない人が共存してたり・・・。
タイガイ、面白い家だった。
私が小学生になってからは、おっちゃんが再婚し、そのお嫁さんと出来た子供たち(3人)と一緒に
生活していた。その頃にはおじいちゃんが亡くなり、お姉ちゃんはお嫁に行き、
激しく家族メンバーの入れ替わりがあった。
とにかく、相当な大家族で育ったが、一応私は一人っ子です(笑)

おばあちゃん語る・・・

おばあちゃんの口癖が「おまえほど悪い子は知らんわ」だった。
やたらと喧嘩が強く、近所の男の子にしょっちゅう怪我を負わせたらしく、
おばあちゃんは謝罪の為のお菓子を必ず家に1ダース用意していたと言っていた。
一度、男の子の頭に縫うほどの怪我を負わせてしまったらしく、
その事については大きくなってからもコンコンとお説教された。
・・・が、肝心の私は全く覚えていないのだ。

遊び仲間

私の遊び仲間は年上の男の子ばっかりだった。
それでも、皆、毎日私を遊びに誘ってくれて、可愛がってくれた。
その子達の名前は今でも全員覚えている。

遊び場所
秘密の小屋
この小屋には、おじいちゃんの木材や要らなくなったベットのクッション、その他いっぱい!
ハッキリ言ってガラクタ置き場だったけど、わたしにとっちゃ最高の遊び場だった。
屋根
屋根を遊び場にするなんて、こんなヤツは少ないと思う。
屋根の上で、バク転、バク宙を披露してたら、近所のオバサンがおばあちゃんに通報して
強烈に怒られた。おばあちゃんは怖かったけど、屋根の上は怖くは無かった。
下りる時は、飛び降りるくらいだったから・・・・。
松の木
上の写真にもある松の木。
毎日登ってた。ホントに小さい頃から登っていたけど、
最上まで行けたのは小学生になってからだった。
ある日、天辺で「毛虫」にさされてから登る事を辞めた・・・。
洗濯川
実際ここで洗濯をする人がいるほど綺麗な川があった。
そこで、ザリガニをとるのが好きだった。
裏の川
私にとっては大きな川だった。
遊び相手が年上ばっかだったので、ぴょんぴょん飛びわたるお兄ちゃんの真似をして
自分も飛び渡りたくて仕方なかった!!
失敗して、歯が欠けたこともあるし、落ちたこともある。
この川に落ちると、最悪なのだ・・・。
ナゼかと言うと、近所でウシを飼ってる所があるのだ!
つまり、オシッコが流れてる訳で・・・・( ̄‥ ̄;)クサイ、、、
この川では、よく蛙釣りもした。
仕掛けは簡単!糸の端を丸結びして口元に持っていけばパクっと♪

 

語れば、限りなく思い出がいっぱい・・・。
私の一生の中で一番楽しく、幸せだった時代だから。
でも、それはイケナイ事?だって、振り返っても戻る物じゃないから。
一生の中で一番の幸せなんて、この先に作っていくもの。。
毎年、毎年が最高の年になるように、年をとるのすら
楽しみに思えるほどの人生送っていかないとね!

でも、こんな幸せいっぱいの思い出は私の自慢!
今の私を作ってくれた人たちにとっても感謝してます☆

 

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